「ハックルベリー・フィンの冒険」マーク・トゥエイン

今日は暖かくなって、人間も急に冬眠から覚めたのか、
どこに行っても人だらけでゴミゴミ、イライラしてしまった。
まあ、自分もその「人だらけ」のなかの一人なんだけど。


レオ・マークスの「楽園と機械文明」を読んでたら、
ハックの物語を引用して論考していた。
その論がうんぬんというよりも、
少年ハックの「語り」によって、イライラが解消された。
少年ハックと逃亡奴隷ジムがミシシッピ川を漂いながら、
夜いかだに寝ころがっているところ。


<いかだの上に住むのは素晴らしい。星が一面にきらめく空が頭上にある。おれたちは仰向けにねて星を見上げ、あれはみんな作られたのだろうか、それともたまたまあんなふうになったのだろうかと議論した。>


ただの田舎の悪ガキと学の無い奴隷が、
満天の星の下で宇宙創造のナゾについて議論する。
そこには世俗のレベルから境界線無しに、
宇宙へと広がっていく、偏見に曇らない目があるようです。
トゥエインは「矛盾が存在しない少年の視点」を採用して、
この物語を書いたと、レオ・マークスは言っております。


いかだの上でユラユラしながら寝たいです。
でも、ミシシッピ川はユラユラというより、
流れが速くてオチオチ寝てられないだろう。
洪水もよくあるらしいし。

ハックルベリー・フィンの冒険〈上〉 (岩波文庫)       ハックルベリー・フィンの冒険 下 (岩波文庫 赤 311-6)